池田家のブログ

泰輔の日記 2017年12月14日

忠臣蔵と籠花入

今日12月14日は赤穂浪士討ち入りの日として知られています。

元禄15年12月14日(15日未明)、江戸・吉良上野介上屋敷に大石内蔵助を筆頭とする赤穂浪士の討ち入りがあり、自らの主君浅野内匠頭の仇と目する吉良上野介を討ち取ったこの事件は様々な逸話や人間模様に富み、歌舞伎や文楽、映画やドラマの題材となって広く親しまれています。

その様々な逸話の中でも、籠師として外せないものは、浪士達が本懐を遂げ泉岳寺にある主君の墓前まで行進する際、途中首級の奪還を避けるため吉良邸の茶室にあった桂川籠花入を風呂敷に包んで槍の先に下げ、身代わりにしたというくだりです。

この逸話からうかがえる重要な事実。それは

真冬の茶会に和物の籠花入れが使われている

ということです。現代一般的には、和物の籠花入は炉の季節にあまり用いられておりません。ざんぐりと編まれた風情が涼を感じさせるから、というのがよく言われる理由です。唐物籠花入については炉・風炉共に用いられています。

ところが忠臣蔵のこの逸話は、炉の季節しかも雪の降るような真冬に和物籠花入の名品たる桂川籠が用いられていたことを示しています。

何故なのか。それは本来、和物の籠花入の使用を風炉の時期に限るなんて決まりは無かったからです。遡れば松屋会記等古い時代の記録にも炉の時期に和物籠花入が使われていた記述があり、少なくとも江戸時代中頃まではそれが普通であったことが分かります。何時誰が和物籠花入の使用に制限を与えたのかは定かではありませんが、それがわりあい新しく加えられた概念であることは間違いありません。

ここで私が申し上げたいのは、そんな既成概念に囚われず、席主の感性と客への心入れによって道具を選び、楽しんで使っていただきたいということです。そして是非、炉の時期にも籠の御道具を積極的に使っていただきたいと、一人の籠師として切に願います。


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